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さて今回は、私が今までに綴った記事の中で、おそらく最も難解だと思います。
でもご安心めされっ! 書いてる私自身が、よくわかっておりませんからっ♡
なんとか形するのに3週間近くかかりました。
まず、使れている「画」からご説明致します。
一番上の gif 画は、まずナタリーポートマンの顔のアップ、そっからフェイドアウトして、
篠田麻理子様のお顔のアップが、ドーンッ!
ただし、この2人を題材に記事を書こうというわけではありません。
下にあります7つの画像。
このすぐ下の2枚も篠田麻理子様の顔のどアップ、
そのさらに下の2枚。
この写真に写ってる方が、どなたかは存じませんが
これは何年か前に使われた、クリスチャンディオールの「商標」です。
街にあるでっかい看板なんかでよく目にする奴です。
上記のナタリーポートマンのもそうです。
何年か前に私がストックしておいたのを、今回引っぱり出して参りました。
※ こういう目鼻立ちのくっきりした「外国人女性=大人の女」を出すと、
なんかみんな引くんですよね〜♡
単一民族(だと思ってる)ニッポンおこちゃま男子諸君!
早く「Boy」から「Guy」になりましょう♡
そして、最後の不気味な3枚の画像は、「仮面」、仮面を被った「人形」と「女性」です。
A:アイドル
B:商標
C:仮面
異色の組み合わせですが、これらに共通する1つの特徴があります。
それはすべて、「表面的」な独自の「世界」を造り出すための、「媒体」であるということ。
今回はフェティッシュシリーズ第8弾、テーマは「表面」フェチです。
???という感じでしょう? これからご説明します。
ただしこれは、私自身のフェチというよりも、
みなさん、ひいては我々現代人「全て」に言えることではないでしょうか?
A.高層:昇る → アイドル メイクを決めて〜 ♪ (BOOWY「NO.NEW.YORK」より)
「化粧」というものは、己を飾り立てるため、もしくは気持ちを高揚させる時なんかに行います。
しかしそれは、洗い流してしまえば、消えてなくなってしまいます。そしてまた、お化粧してお出かけ。
これは正に、彼女達にとって「鎧」なんです。
家に帰って、くつろいだりするときなんかは、化粧は落とします。
不要になれば、一時的な「武装」は解除ということ。
そういう意味で、「化粧」というものは、一種の「鎧」。
決して「実体」をもった、「肉体の一部」ではありません。
しかし、女性にとって、それは肉体の一部、「真実」なんです。
飾り気のない「素顔」こそ本当の姿。
そう思うのは、我々男だけです。
彼女達にとっての「真実」とは2種類あって、
その1つこそ、この薄っぺらな「仮面」の世界にあるんです。
「厚化粧」なんて言葉があります。
自分に自信がないからそんなことをするんだ。ブスだから。皺を隠すため。
塗りたくれば塗りたくるほど、
その「素顔=真実」を覆い隠す行為として、他人から揶揄されます。
しかし彼女達は、その化粧という「極薄」の世界の中に、
まるで「ミルフィーユ」のような幾つもの「層(下地〜仕上げ)」を造り出し、
それを何度も繰り返し塗り重ねることで形成された「極小の厚み」の中に、
「もう一人の自分」を「創り出す」んです。
それは、役を演ずる女優のような、期間限定的な「偽物」の「自分」かもしれませが、
彼女達にとって、その「偽物」は、「鏡」に投影された「もう一人の自分」であり、
「もう一つの真実」なんです。
※ 女の人は、男性よりもずっと「観念的」な性の持ち主です。
男性の絶頂には「射精」という、現実的な「結果」がありますが、
女性の絶頂は、彼女達の「頭の中」だけで起こるものです。
つまり、ホントに「イッタ」かどうかは、本人にしかわかりません。
証明しようがないんです。つまり「観念」の世界で「イク」ということ。
「観念(形而上学=イデア)」とは、
科学的な価値観で見ると、存在しないモノ。いわば「偽物」「錯覚」「幻想」「理想」の産物です。
現実的(質量の計測ができる)な「結果」が全ての、
「実体(形而下学=物質)」や「科学(男の論理)」というものを、
女性が今ひとつ信じていないのは、このためだと思います(「肉欲」を求めない)
逆に、ひたすら「射精」という現実的(同様に質量の計測が可能)な「結果」を求めて、
欲情する我々男性には、「 観念的」な世界で「イク」彼女達を理解する事は、永遠にできないと思います。
「アイドル」というモノは、以前申しましたように、独立した1つの「人格」」ではありません。
彼女達は、あくまで「偶像」です。
例えば、
「板野友美」さんの本名が、仮に「山田花子」さんだとしましょう(吉本の...を想像しないように♡)
この場合、その「山田花子」なる人物には、「人格」がもちろん存在します。
しかし、
「板野友美」という「人格」は、存在しないんです。
そこには、
「板野友美」という、何者かによって造り出された「アイドル=像」が存在するだけなんです。
この「アイドル」なる「者」は、
彼女達を「鑑賞」する側である我々と、この「山田花子」なる「人物」の間に結ばれた、
一種の「約束事」つまり「契約関係」としてのみ、存在しているんです。
この「約束」とは、(「山田花子」自身の「人格」を覆い隠し)
いわば「化粧」をして、着飾ったその姿を我々に「提供」することです。
そして今度はそれに対し、我々が金銭等の「代価」を支払います。
それが、彼女達と我々の間に結ばれた「約束=契約」であります。
しかし彼女達は、その「アイドル」なる「実体=人格」を持たない「者=偶像」に、
己の全存在をかけて、その「高み(観念の世界でイクように)」へと挑みます。
メイクを決めて、街へ繰り出し「勝負」するかのようにです。
故に、彼女達は、
その「化粧」のように「実体のない」薄っぺらな世界を、さらに幾重もの「化粧」で塗り重ね、
まるで「地層」でも形成するかのように、一種独特の「厚み」を造り出して「武装」をするんです。
「アイドル」とは正に、その「厚化粧」で出来上がった存在、「化粧そのもの」と言い換えてもいいでしょう。
つまり我々は、「化粧そのもの」を愛しているんです。
よって、「アイドル=偶像」の「本性」なるものを、「探る」意味など全くないのです。
「本性=実体=人格」そのものがない、
そして「化粧」のように表面的な「質感」しか持たない、一種の「怪物」なんですから。
※ ◯◯疑惑なる空しい噂話は、もうやめましょう。
それに案外、スキャンダルを流してるのは、当人サイドかもしれません。
つまり、「踊らされている」のは我々の方かもしれない、ということ。
B.表層:滑る → 現代人 Dive into your body 〜 ♪ (TM network「Dive into your body」より)
フーッ........さーて次です。こっから、さらに複雑になりまする♡
しかしこの話は、我々現代人すべてに付き纏う、最もややこしい問題です。
絶対に避けては通れんのです。
我々は、今から語る「表面」の世界に、誰もが無意識レベルで毒されているのですから。
次は、「商標」のお話です。
この「商標」という言葉は、「トレードマーク」と訳されます。
「トレード」というと、まず思い浮かぶのが「交換」という言葉です。
「物」と「物」の交換、「お金」と「物」の交換、「お金」と「お金」を交換する両替、等々。
しかし最近は、カードでの買物、クレジットやPASMOなんかの電子マネー等があります。
こいつは、「お金」と「物」の交換というよりも、
各種媒体に記録された「記号」と「物」の交換といっていいでしょう。
さらに、銀行なんかでの取引や振込等になると、
もはや「記号」と「記号」の交換、ただの「数字」のやり取りになってしまいます。
※ 「ジャンボードリヤール」ってフランスのオッサンが言ってました。
映画「マトリックス」の発想の元ネタは、このオッサンの思想らしいです。
しかし本人は、SFなんぞっ!て感じで、映画には決して関与しませんでした。
我々は、この習慣にあまりにもなじみ過ぎてしまって、気づきにくいと思いますが、
ここでは、「物理的実体」のある、肝心の「物」の存在が、消え失せてしまっています。
それは、その「物」と同価値のある金銭、ひいては媒体に記録された「記号」をやり取りすることで、
「物」と「物」を交換したという感覚を、我々が当たり前のように身につけてしまっているからです。
でも確かに、こっちのほうがいいんです。フットワークが軽いですから。
「物」と「物」を交換するっていうのは、口で言うほど簡単ではありません。
運搬方法や流通経路なんかの、物理的制約に常に拘束されます。
流通はスピードが勝負です。
光速で駆け巡る電子情報のスピードには、制約のある「物理的実体」を持った我々は、到底かないません。
我々が普段目にする、パソコンや携帯の液晶画面に記された、文字や数字というのものの正体は、
物理的質量を持たない(厳密に言うとあるんですが)数式やプログラミング言語の記述でしかありません。
ブログやってる方ならわかるでしょう。あの「HTMLタグ」ってのもそうです。
あの訳のわからん、数字や言語の羅列です。
この紙のような「面的」な世界には、「奥行」といものがありません。
あるのは縦横の広がりのみ、正に「面」の世界です(Excellなんか正にそうです)
この「面」の世界には、物理的な圧力や摩擦力、抵抗力、反力等々といったものがありません。
故にそれは、光速に近いスピードに達することも可能です。
※ 光速といのは、物理的な定義では「時間差がない」ということと同義らしいです。
光より速い物質は発見されていないどころか、物理的な定義自体不可能らしいです。
DIOや承太郎が「時間を止める」というのは、厳密に言えば、光の速度に達する、
もしくはそれを超えたスピードで「動く」ということです。絶対無理ですな。
一番上の gif 画は街でよく見かける、
デッカい液晶画面なんかで流れる、「コマーシャル」を意識して作ってます。
これらは、全く別々の場所で、全く別々の時間に、全く違う人間が撮影し作り出したモノ、
であるはずなのに、この表面世界では、ほぼ同時並列的に「存在=滞在」することが可能なんです。
私が使うデザイン系のソフトには、「レイア」という機能があります。
こいつは、画面に幾つもの「画層」を作り出して、分類し重ねていく機能です。
ほとんど場合、我々が使いやすいように、「上下」という「空間概念」が組み込まれていて、
紙やスライドなんかを重ねるような「感覚」で作業が出来る、大変便利な機能です。
更に、Adobe系のソフトには、そのレイアを透明、半透明にしたりする機能もありますので、
下に重ねられた画像を、透かして見ることも可能です(上の画像を半透明にしてやるんです)
この gif 画は、「2枚重なった」モノを、「1枚」の「画像」として保存、
さらにちょっとづつ透明度を変え、それらを「1枚1枚」別々のファイルに保存し、
gif 作成ソフトに落とし込んで、それらを繋ぎ合わせ、最終的にスピード調整したもんです。
街で見かけるこのデッカい液晶画面も、正に透明、半透明の無数の画像を、
繋ぎ合わせで作った、いわば擬似的な「表面」の世界です(画像1枚を構成するのが「画素」)
しかし我々は、そういうものが視界に入ってくるのが当たり前の世界の住人です
我々が行う「ネットサーフィン」なんかもそうです。
サイトからサイト、ページからページへと、まるで情報の海で、「波乗り」でもするかのように、
次から次へと別の「面」へ、また別の「面」へと「ダイブ」していきます。
情報垂れ流しのTV等を見て暮らしている我々現代人は、
それがいかに「異様な世界」であるか、まるで気づかないんです。
現代人1人1人は全て、この表面的擬似的世界を漂流、滑走し、
さらにこの「怪物」を造り上げていく、1つの1つの因子、細胞であり、
そして「画=現代」という1つの「怪物」を造り上げる、「画素=人間」の集まりなんです。
※ アクセス記録なんか見てると、「群体動物」のように、皆ほとんど「同じ動き」をしています。
気味が悪いくらい「同じ」なんです。ほんと「細胞」みたいですよ。
私と同じブロガーの方なら、この「感覚」が「わかる」と思います。
私が人と同じことするのを嫌うのは、この「動き」が、あまりにも「不気味」だからです。
C.深層:沈む → 我々 トゥナイヤイヤイヤイヤイヤイヤティアッ ♪( 少年隊「仮面舞踏会」より)
さーて次.........まあこの話は比較的わかりやすいです。
故三島由起夫氏の作品に「仮面の告白」というのがあります。
私は、この作品をだいぶ前に1度読んだだけなんで、内容をよく覚えてないんですが、
三島氏はこの作品を発表して著名になりました。
確か、己の性癖なるものについての独白、そんなんがテーマだったように記憶してます。
三島さんをご存知の方は、もう知ってらっしゃると思うんですが、彼には「男色」の傾向がありました。
これもどこまで本当かわかりませんが(ちなみに既婚者でした)、
美輪明宏さんと恋仲だったとか、彼に告白してフラれたとか。
ただ彼の場合、ホモ、ゲイ、オカマというような言葉は、あまりピタリときません。
おそらく、己が美しいと感じた者は、それが男であろうと女であろうと素直に賞賛し受け入れる、
私はそんなふうに解釈しています。
なぜ彼が、「仮面の告白」なんていうタイトルをつけたかと申しますと、
仮面という「嘘=偽物の顔」を被ることで、「逆に」己の赤裸々な姿を、余す事なく晒すことができた、
確かそんな話を聞いたことがあります。
みなさんは覚えてますか?
スタンリーキューブリック監督、トムクルーズ、ニコールキッドマン主演、
「アイズワイドシャット」という映画があったことを。
これは確か、医師(トムクルーズ)である男性が、ある秘密クラブなるものを紹介され、
その秘密社交界みたいなところに出向くと、参加者が全員おかしな「仮面」をつけて、
酒をを飲んだり、談笑したりしている、おそらく一種の「乱交パーティー」に出くわしまい、
その危険な世界にのめり込んでいく、そんな話だったと思います。
こういう秘密クラブだかサロンだとか言うのは、現代にも、形を変えて世界中にあると思います。
エステ、日焼け、アロマ、どこまで合法違法かわかりませんが、
こういう場所は、半分「お喋り=交流」が目的です(たぶん、警察が恐れているのはドラッグの蔓延)
その秘密クラブなるもので、
彼らがなぜ仮面なんかつけてるかというと、おそらく1人1人が各種業界での著名人、
つまり、絶対顔を知られてはいけない大物ばかりなのでしょう
※ 表舞台の「仮面=化粧=ステータス」の下にある、
「本当の自分」をおさえきれなくってしまう「アイドル」「人格」が「仮面」からはみ出て「暴走」
そんな彼らにも、独自の性癖や趣味趣向のようなものがあるので、素顔を覆い隠して、
秘密のクラブなる社交界に出ていると思われます。
そして、
「平岡公威(三島さんの本名)」も、文学者「三島由紀夫」という仮面をつけることで、
人に言えなかった己の性癖や趣向を初めて語ることができたのではないかと、
そんなふうに解釈されているそうです。
まさにこの秘密のサロンに出入りする「マスク」をつけた者共のようにです。
我々から見ると、「サロン」なんてのは、なんか古くさい(昭和クセー)響きがありますが、
我々がやってるこのブログだって、この「サロン」の一種だと思うんです。
我々は、お互いの正体を知りません。
だから、人には言えない恥ずかしい性癖や趣味趣向なんかも堂々と発表できるんです(お前だけだ)
いわば我々も、「ブログ」という仮面を被って、この秘密の「社交界」に参加しているんです。
この「社交界」というのは、正に本物の秘密社交界と同様、闇の「深層」部分にあります。
そこは、「ネット」という、奥行きのない、つるつるの表面的な「社会」に生じた、
「亀裂」や「断層」の中の、さらにもっと深い場所です。
ここでは、同じような趣味趣向の人間が集まり、世間様には決してご披露できない、
己の「闇」とも言うべき部分が、惜しげもなく華麗なまでに展開されます(笑)
それは、「ネット」という表面的な「空間=社会」の「裂け目」であり、
そして、我々の「闇」と「結託」して出来上がった、この「社会」の「最深」の領域です。
我々は、そんな表面世界の深層部にどんどん沈んでいって、
深くはまり込みんで「仮面」を外せなくなってしまった、また一人の「怪物」なんです。
End:俯瞰
A.高層、B.表層、C.深層、我々が生きるこの3つの表面的世界には、3種類の「怪物」がいます。
A:「高み」へ「昇り」つめ、表面世界を闊歩する者 → 上昇する者 → アイドル(スター)
B:この表面世界の「表側」を、ただ無自覚に「彷徨う」者 → 水平並行移動する者 → 現代人(凡庸な人)
C:暗い裂け目の「底」で「蠢き」光を見上げる者 → 下降する者 → ネット住人(幼稚な文学サロン的集合)
※ 対応関係 赤 高み:表側:底 青 昇り:彷徨う:蠢き 緑 上昇:水平並行移動:下降
三者三様、
いずれも違う場所、違うベクトルで、この「表面世界」を、昇り、彷徨い、そして蠢く「怪物」です。
しかし我々は、
もうそんな世界でしか、この3つの世界のどこかでしか、生きることはできません。
我々はいずれも、
この薄っぺらな、「偽物」の質感で覆われた、「表面」の世界に取り憑かれ、
その世界を「本物」と思い込んでいる、精神的な「倒錯者」なのです。
つまり「私」を含め、
「文化水準の高い」全ての現代人は、この「表面」を愛してやまない「フェティスト」なんです。
そして、
この「部分愛=フェティズム」は、逆説的に「全体愛=ファシズム」になってしまうでしょう。
「みんなで同じ動きをする」
何らかの「アジテーション(思想誘導)」でなければいいんですが........................
当時はまだ、「ネット」という概念(感覚)が、我々一般人には、それほど理解されていませんでした。
それにこれは、学生ごときが取り扱えるような生やさしい問題ではなかったと、今では思います。
ちなみに哲学、思想、物理、数学、情報論理等は、私の専門ではありません。