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グラオナの旅

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Posted by グラオナ最高 on  | 

027 No.5 Cogito Ergo Sum (2014/07/25)



さて、今回はフェティッシュシリーズ第5弾です。おっぱい、お尻、顔、腰回りと今まで4つ
のフェティズムを語って参りました。そして今回は「妄想フェチ」です。

もちろん、これだけではなんのことかわからないでしょう!? 要は私自身の私自身が展開す
る妄想に、最終的に最もフェティズムを感じてしまうということです。

ただし、
あらかじめ断っておきますが、今回はオナ記事ではありません。

少し異例ですがブログ開始から1ヶ月がたちましたので、ここらで私がこのブログを立ち上げ
た真の理由、なんていうと大げさですが、ブログのスタイルや立ち上げの経緯、「妄想」って
奴に対する私自身の考え方など、このシリーズに場を借りてその辺りをお話したいと思います。

よって、
今回は私のコレクションの中から媒体(オカズ♡)は出展しますが、はっきり言って、この話
とはなんの関係もありません。
退屈な方は飛ばしちゃって「絵」だけお楽しみください。
ぶっちゃけただコレクション自慢したかっただけでございますっ!



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、
このブログは、とあるブロガーさんに触発されて立ち上げたモノであると、はじめの挨拶で申
しました。このような妄想癖は今に始まったことではなく、昔から私の頭の中にあったんです。
しかし、このような趣向を他人に話せるはずもありません。誰にも言えない秘密として、日々
満たされぬ思いを頭の中で繰り返すしかありませんでした。そんなある日私はネットでエロサ
イト等を検索しておりましたところ、私とおんなじような妄想を展開されているブログを発見
しました。私は痛く感動し、この他人には決して打ち明けることができない思いを形にして記
録する方法をついに見つけたのです。それがこのブログを立ち上げるきっかけとなりました。

タイトルにあります「Cogito Ergo Sum」これはラテン語で「コギト•エル•ゴ•スム」と読み
ます。日本語に訳しますと「我思う、故に我あり」ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
これは17世紀のフランスの近世哲学者、ルネ•デカルトというオジさまの言葉です。

どういう意味かというと「たとえ、この世にあるすべての存在が虚偽であるとしても、それを
を疑っている私の思考は確実に存在する、故に私は存在する」という意味。要は自分以外の全
てのモノを、見せかけもしくは夢や幻であると疑って信じられなくなっても、それを疑ってい
る私のこの疑念だけは今ここに確実にある、よって「私」という「者」だけは疑いようもなく
存在するということです。

私は別に哲学者や西洋史家ではないのであんまり厳密なことは言えないんですが、この人が書
いた「方法序説」という著書の中にこの言葉があって、その後の西洋哲学思想に大きな影響を
与えました。こ〜んなこと真剣に考える暇な人達が世界には数多くいるようです。



さて、
私がこのブログで綴るお話は、全て私の頭の中だけで築き上げられた妄想です。何度も言いま
した。しかし、私がこの「妄想」という言葉を殊更強調するのには、3つの理由があります。

それは、
「妄想」とは決して現実には起こりえないこと、言い換えれば、現実の世界で、現実の女の
子はこんなこと絶対にしてくれない、こんなことやっちゃいけないっていう自分自身への戒
めとして使ってるんです。

次に、
管理人は、普通に見たらなんてことないただのグラビアで、おかしなことを1人でぶつぶつ言
いながら、勝手に興奮しているという滑稽劇というスタイルしたかったんです(笑)。

そして最後に、
逆に言えば、それは私の頭の中に閉じ込めて、現実世界と分離しておきさえすれば、何をや
っても構わないという意味でもあるんです。もちろん、ブログにしてネット上に配信される
訳ですから、暴力的な表現や誹謗中傷なんかは避けてます。私はあくまで、いかにこれまで
登場したお嬢様方を愛しているか、という熱烈な思いを綴るのみでございますっ!



デカルト劇場(カルテシアン劇場とも言います)という言葉があります。これは頭ん中に投
影された現実世界を、まるで映画のスクリーンでも眺めるかのように見る、もう1人の小さな
小人のような自分がいるという、心と身体を分離して考える心身二元論って奴です(本当に
小人がいるといっている訳ではありません。あくまで1つの心理学上の「モデル」を提示して
いるだけです)。

私の築き上げた妄想世界も1つの劇場と言えます。もちろん厳密にいうとこのデカルト劇場と
はちょっと違うんですが、私はこの妄想という1つの世界を現実から分離してみるのが面白い
んじゃないかと思うんです。

デカルトの自己存在確認法を逆手にとったような考え方ですが、村上春樹の「世界の終わりと
ハードボイルドワンダーランド」に出てくる「世界の終わり(主人公が築き上げた脳内のもう
1つの世界)」という考え方に似てると思うんです。これが私の場合、お嬢様方との愛♡のひ
とときとなりむぁ〜す(笑)。



もちろん私の展開する「妄想」はそんなご立派なものではないし、遊びでやってるブログでこ
こまでする必要ないんですが(笑)、仕事だろうと趣味だろうと何事も凝り性なタチでして、
私は昔っからこういった思考実験的なことをやるのが非常に好きなんです。だから終着点のな
いような話を延々だらだらと続けることもできますし、そのプロセスを1人で楽しんだりもで
きるんです(笑)。

そういう論理迷宮のような世界を楽しめる人はいいんですが、言葉1つ1つを丹念に追ってい
くのが辛いだけの人には面白くもなんともないと思います。私自身も言ってることだって矛盾
だらけだったり、混乱したりしてる時もあります(笑)。

だから、「書く」っていう作業は、己の思考整理と趣味趣向の再確認再(新)発見に役立つん
です。これが、私が見つけた私の頭の中にある思いと欲望を処理し「出力」する新たな方法、
私自身の「方法序説」となったわけです。



もちろん、私同様にもしくは私なんかよりず〜ッと前からブログをやってらっしゃる方々はと
っくに気づいていらしたんでしょうが、ただ、私の場合自分で文章を綴りながらそれに興奮し、
改めて見直してまた興奮するというループ(繰返し)が起こっちゃってますから、「妄想」そ
のものにフェチって奴を感じるところが、たぶんみなさんとは違う、言い換えれば、どうしよ
うもなく救いがたいとこだと思うんです(笑)。

妄想に妄想をさらに加えるっていうことも考えたんですが(例えば今までの記事の行間を埋め
てみる等)、おそらく、かなりキワど〜いもしくはさらに混沌とした話になりそうなんで中止
しました(笑)。しかも思考の内奥にドンドン突っ込んでいくと、今度は写真等の媒体が追い
ついてこなくなる。そうなるともう写真なんか必要なくなってただの想像オナになってしまい
ます。私は官能小説を書きたいわけではないし、もちろんそんな才能もありません。私はあく
までグラビアという現実にあるものを非現実的に仕立て上げてその狭間を行ったり来たりする
のが好きなんです。その辺りにこそ「もどかしさ」や「じれったさ」みたいな感情が生まれて
更なる「欲望」と「妄想」を溜め込めこむことができるんです。その溜まりに溜まったエネル
ギーを爆発させた時、射精した時のキモチよさたるや♡..............................むふふふふ♡ 

だから私は「妄想」が好きなんです♡ そしてやめられないんです♡

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 




関連記事

Category : Fetish
Posted by グラオナ最高 on  | 2 comments

-2 Comments

ドピュッ♡ says..."Re: タイトルなし"
> こんばんは
>
> 自分もアイドルでオナニーするときは、妄想しながらのオナニーですね。
>この子の場合は、制服を着ながらのプレイを妄想したり、別の子は撮影
> をイメージしながらのオナニーとか、想像するだけでも楽しみです。

コメントありがとうございます。

妄想って楽しいですよね♡
実は私がグラドル様で♡♡♡するときによく思い浮かべるイメージがあるんです。
明日の記事にその旨が掲載されますので、よろしかったらご覧下さい!

いつもいつもありがとうございます..................♡
2014.07.25 23:51 | URL | #- [edit]
オナオナ堂 says...""
こんばんは






自分もアイドルでオナニーするときは、妄想しながらのオナニーですね。
この子の場合は、制服を着ながらのプレイを妄想したり、別の子は撮影をイメージしながらのオナニーとか、想像するだけでも楽しみです。
2014.07.25 23:42 | URL | #liUm.ylg [edit]

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027 No.5 Cogito Ergo Sum (2014/07/25) - グラオナの旅

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027 No.5 Cogito Ergo Sum (2014/07/25)



さて、今回はフェティッシュシリーズ第5弾です。おっぱい、お尻、顔、腰回りと今まで4つ
のフェティズムを語って参りました。そして今回は「妄想フェチ」です。

もちろん、これだけではなんのことかわからないでしょう!? 要は私自身の私自身が展開す
る妄想に、最終的に最もフェティズムを感じてしまうということです。

ただし、
あらかじめ断っておきますが、今回はオナ記事ではありません。

少し異例ですがブログ開始から1ヶ月がたちましたので、ここらで私がこのブログを立ち上げ
た真の理由、なんていうと大げさですが、ブログのスタイルや立ち上げの経緯、「妄想」って
奴に対する私自身の考え方など、このシリーズに場を借りてその辺りをお話したいと思います。

よって、
今回は私のコレクションの中から媒体(オカズ♡)は出展しますが、はっきり言って、この話
とはなんの関係もありません。
退屈な方は飛ばしちゃって「絵」だけお楽しみください。
ぶっちゃけただコレクション自慢したかっただけでございますっ!



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、
このブログは、とあるブロガーさんに触発されて立ち上げたモノであると、はじめの挨拶で申
しました。このような妄想癖は今に始まったことではなく、昔から私の頭の中にあったんです。
しかし、このような趣向を他人に話せるはずもありません。誰にも言えない秘密として、日々
満たされぬ思いを頭の中で繰り返すしかありませんでした。そんなある日私はネットでエロサ
イト等を検索しておりましたところ、私とおんなじような妄想を展開されているブログを発見
しました。私は痛く感動し、この他人には決して打ち明けることができない思いを形にして記
録する方法をついに見つけたのです。それがこのブログを立ち上げるきっかけとなりました。

タイトルにあります「Cogito Ergo Sum」これはラテン語で「コギト•エル•ゴ•スム」と読み
ます。日本語に訳しますと「我思う、故に我あり」ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
これは17世紀のフランスの近世哲学者、ルネ•デカルトというオジさまの言葉です。

どういう意味かというと「たとえ、この世にあるすべての存在が虚偽であるとしても、それを
を疑っている私の思考は確実に存在する、故に私は存在する」という意味。要は自分以外の全
てのモノを、見せかけもしくは夢や幻であると疑って信じられなくなっても、それを疑ってい
る私のこの疑念だけは今ここに確実にある、よって「私」という「者」だけは疑いようもなく
存在するということです。

私は別に哲学者や西洋史家ではないのであんまり厳密なことは言えないんですが、この人が書
いた「方法序説」という著書の中にこの言葉があって、その後の西洋哲学思想に大きな影響を
与えました。こ〜んなこと真剣に考える暇な人達が世界には数多くいるようです。



さて、
私がこのブログで綴るお話は、全て私の頭の中だけで築き上げられた妄想です。何度も言いま
した。しかし、私がこの「妄想」という言葉を殊更強調するのには、3つの理由があります。

それは、
「妄想」とは決して現実には起こりえないこと、言い換えれば、現実の世界で、現実の女の
子はこんなこと絶対にしてくれない、こんなことやっちゃいけないっていう自分自身への戒
めとして使ってるんです。

次に、
管理人は、普通に見たらなんてことないただのグラビアで、おかしなことを1人でぶつぶつ言
いながら、勝手に興奮しているという滑稽劇というスタイルしたかったんです(笑)。

そして最後に、
逆に言えば、それは私の頭の中に閉じ込めて、現実世界と分離しておきさえすれば、何をや
っても構わないという意味でもあるんです。もちろん、ブログにしてネット上に配信される
訳ですから、暴力的な表現や誹謗中傷なんかは避けてます。私はあくまで、いかにこれまで
登場したお嬢様方を愛しているか、という熱烈な思いを綴るのみでございますっ!



デカルト劇場(カルテシアン劇場とも言います)という言葉があります。これは頭ん中に投
影された現実世界を、まるで映画のスクリーンでも眺めるかのように見る、もう1人の小さな
小人のような自分がいるという、心と身体を分離して考える心身二元論って奴です(本当に
小人がいるといっている訳ではありません。あくまで1つの心理学上の「モデル」を提示して
いるだけです)。

私の築き上げた妄想世界も1つの劇場と言えます。もちろん厳密にいうとこのデカルト劇場と
はちょっと違うんですが、私はこの妄想という1つの世界を現実から分離してみるのが面白い
んじゃないかと思うんです。

デカルトの自己存在確認法を逆手にとったような考え方ですが、村上春樹の「世界の終わりと
ハードボイルドワンダーランド」に出てくる「世界の終わり(主人公が築き上げた脳内のもう
1つの世界)」という考え方に似てると思うんです。これが私の場合、お嬢様方との愛♡のひ
とときとなりむぁ〜す(笑)。



もちろん私の展開する「妄想」はそんなご立派なものではないし、遊びでやってるブログでこ
こまでする必要ないんですが(笑)、仕事だろうと趣味だろうと何事も凝り性なタチでして、
私は昔っからこういった思考実験的なことをやるのが非常に好きなんです。だから終着点のな
いような話を延々だらだらと続けることもできますし、そのプロセスを1人で楽しんだりもで
きるんです(笑)。

そういう論理迷宮のような世界を楽しめる人はいいんですが、言葉1つ1つを丹念に追ってい
くのが辛いだけの人には面白くもなんともないと思います。私自身も言ってることだって矛盾
だらけだったり、混乱したりしてる時もあります(笑)。

だから、「書く」っていう作業は、己の思考整理と趣味趣向の再確認再(新)発見に役立つん
です。これが、私が見つけた私の頭の中にある思いと欲望を処理し「出力」する新たな方法、
私自身の「方法序説」となったわけです。



もちろん、私同様にもしくは私なんかよりず〜ッと前からブログをやってらっしゃる方々はと
っくに気づいていらしたんでしょうが、ただ、私の場合自分で文章を綴りながらそれに興奮し、
改めて見直してまた興奮するというループ(繰返し)が起こっちゃってますから、「妄想」そ
のものにフェチって奴を感じるところが、たぶんみなさんとは違う、言い換えれば、どうしよ
うもなく救いがたいとこだと思うんです(笑)。

妄想に妄想をさらに加えるっていうことも考えたんですが(例えば今までの記事の行間を埋め
てみる等)、おそらく、かなりキワど〜いもしくはさらに混沌とした話になりそうなんで中止
しました(笑)。しかも思考の内奥にドンドン突っ込んでいくと、今度は写真等の媒体が追い
ついてこなくなる。そうなるともう写真なんか必要なくなってただの想像オナになってしまい
ます。私は官能小説を書きたいわけではないし、もちろんそんな才能もありません。私はあく
までグラビアという現実にあるものを非現実的に仕立て上げてその狭間を行ったり来たりする
のが好きなんです。その辺りにこそ「もどかしさ」や「じれったさ」みたいな感情が生まれて
更なる「欲望」と「妄想」を溜め込めこむことができるんです。その溜まりに溜まったエネル
ギーを爆発させた時、射精した時のキモチよさたるや♡..............................むふふふふ♡ 

だから私は「妄想」が好きなんです♡ そしてやめられないんです♡

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Category : Fetish
Posted by グラオナ最高 on  | 2 comments

-2 Comments

ドピュッ♡ says..."Re: タイトルなし"
> こんばんは
>
> 自分もアイドルでオナニーするときは、妄想しながらのオナニーですね。
>この子の場合は、制服を着ながらのプレイを妄想したり、別の子は撮影
> をイメージしながらのオナニーとか、想像するだけでも楽しみです。

コメントありがとうございます。

妄想って楽しいですよね♡
実は私がグラドル様で♡♡♡するときによく思い浮かべるイメージがあるんです。
明日の記事にその旨が掲載されますので、よろしかったらご覧下さい!

いつもいつもありがとうございます..................♡
2014.07.25 23:51 | URL | #- [edit]
オナオナ堂 says...""
こんばんは






自分もアイドルでオナニーするときは、妄想しながらのオナニーですね。
この子の場合は、制服を着ながらのプレイを妄想したり、別の子は撮影をイメージしながらのオナニーとか、想像するだけでも楽しみです。
2014.07.25 23:42 | URL | #liUm.ylg [edit]

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